ダンス、フィギュアスケート、サッカー、野球、そして空手。
などなどのスポーツ。
華麗な技と真剣勝負。

その中において「止めの美学」というものがある。

僕は11年間、空手をしてきた。組手と型と。強さは決して力じゃなく、その技術であるのが空手道というものである。
技術。それはいかにして「印象に魅了させられるか」だと感じてきた。観客と審判への印象度が勝敗を左右するものだと体験してきた。
例えば、ある市の大会で自分はその印象を与えるような俊敏且つ適格な攻めを実行したことがある。自分は決して体格も大きくなければ力もあるというほどでもなかった。長年空手をしてきて、体重別がない空手において、体重差が不利だと感じることもあった。しかし、この大会は自分にとってとても重要な大会であったこともあり、どうすれば勝てるかを研究した。体格の小さい自分にはスピードがあり、フットワークの軽さが強みになると思ってきたが、それだけでは勝てないと気付いた。
今の突きが決まった!と印象付ける技を身に付けた。それが「止めの美学」であった。一瞬の「止め」が好印象になる。気合いと共に拳を相手のふところに突き、素早く戻してくる一連の動作の中に、ほんの一瞬だけの「止め」を意識した。たった一つの突きが重く感じられるような気がした。自分にはスピードがあり、相手より多くの攻撃を仕掛けるようなスタイルをしてきたこれまでの戦い方では、きっとひとつひとつの攻撃が「軽い」ように印象付けられていたのではないかと思う。
この「止め」が効果的だった。連続性の中での一瞬の止めへの意識。その止めの瞬間の集中力。これが強さになった。言葉ではなかなかうまく伝えきれないが、この一瞬の止めを知ってから自分はここぞという時の集中力が高まったと感じている。結局、この市の大会で始めて優勝することができた。空手生活11年間でたった一つの金メダルは「止めの美学」が生んだ宝物である。

そしてデザイナーとなった今でも、その美学は生きている。
やりすぎない、こだわり過ぎないという「止め」ではなく、連続性のある行為の中での一瞬の「止め」を意識している。スケッチ一つ描くにしろ、プレゼンするにしろ、「ここだ!」という要素を意識し、集中力を高めることで、自分の間合いに引き寄せ、印象度を高めている。それは「間」に近いかもしれないが、そうでもない。好印象につながる「止め」である。
ほんと伝えにくい内容である。体で体感しないとなかなか理解されないかもしれない。だからブログに書くこと自体、躊躇していた。だけど、最近になって、この「止めの美学」は自分にとって重要な技なのかもしれないと感じるようになり、書くことを決めた。

幼い時期から空手をした経験が今にも生きていると感じることが単純にうれしい。
人生ってそんなふうにして積み重ねていくものなんだろう。

あなたは「止めの美学」体感してますか?

2006.10.22

堀 真寿